すっかりご無沙汰をしてしまいました。
ちょっとエネルギー補給に時間を費やしすぎて、ホームへの帰り方がわからなくなっていました^^;。
また少しずつ書き始めたいな、と思っているのですが・・・。
今日、再び書き始めようと思ったのは、一ヶ月ぐらい前になるのですが、ある体験があったからです。
それは私が今まで体験したことのない内的なものだったので、これはちょっと書いておきたいなという気持ちになりました。
私は週3日、ホームヘルパーとして活動しています。
移動には原付バイクを使っており、走るのは国道ではなく、裏道や細道のルートです。
そのルートの一つに、くぬぎ林を切り開いてできた丘を縫うように走るお気に入りの道があります。
丘の上は畑が広がり農家が点在していますが、周囲には雑木林がそのまま残っていて、ここが人口400万の都会とは思えないところです。
ついこの前まではさつまいも畑がひろがっていて、園児たちの芋ほり遠足で賑わっていました。
先日も天気の良い日に、真っ青に晴れ渡った青空を眺め、大きく深呼吸などしながら、私はその畑の中の道を走っていました。
その時何と驚くようなことが起こりました。
生きる意味というか、これから目指したいと思うことが、突然脳裏に拡がってきたんです。
それは、くっきりはっきりというよりは、じわ〜んと、透き通った空気の向こうから、静かにゆっくり入り込んでくるという感じで。
とても微かなイメージだったので、逃げないようにするのが大変でした。
そしてつかんだイメージは次のようなものでした。
新しい生き方を創っていこう!
誰も今まで経験しなかったような生き方、それを産み出していこう!(創っていっていいんだ、創っていけるんだったんだ・・・。)
先人の生き方を学びはするけれど、それをなぞるのではなく、新たに創っていくこと。
私は私に合ったものを創っていくこと。
そういうことが誰もが目指せる社会、今まで実現できなかったそんな社会を、これから私は仲間と力を合わせながら創っていこう!
(ああそうか、そういうことが人生の意味であり、目的だったんだ・・・。)
そんなイメージというかビジョンが、くぬぎ台の畑の中、青空のもとで、私の中を満たしたのです。
な〜んだ、そんなことかと思われるかもしれませんが、それは私が生まれてからまだ一度も味わったことのない体験でした。
2009年11月11日
2008年09月28日
『思い』
2008年の初頭、私は自分の年齢を考えると何かを実現する時間はもうそう多く残っているわけではない、ということを例年よりずっと強く感じていた。
そして、『少し思い切って勇気を出してダメもとで、一歩を踏み出してみよう!』という漠然とした、しかしどこか確かな『思い』を持っていた。
といっても特別何かを『する』ということではなかった。
それはむしろ一般的には静的と思われることで、例えば自分が今まで関心を持ちつつそのままにしていたような領域に今年は、失敗を恐れず思い切って踏み込んでみよう、というような意味合いのものであった。
当初は昨年から読み始めていたケン・ウィルバーを読み込んでみたい、そのために小さな読書会グループを作ろう、というようなことを考えていた。
しかし、こちらはそうそう一緒にのめりこんでくれる仲間が見つかるものでもなかったので、しばらく留保することにした。
そうこうしているうちにトランスパーソナル心理学・精神医学の分野で基礎的な研究会が都内で開かれていることをネットで知り、もぐりこませてもらえることになった。
参加者は10人ちょっとの集まりながら、大学の先生や院生、その道に造詣の深い人などが集まっており、トランスパーソナルのテキストを読みながら濃い内容の話が展開されていた。
スピリチュアリティをめぐって、医療や教育、宗教と幅広い分野にまたがりながら、毎回ちょっと他では聴けない最前線の刺激的かつ真面目な話をする仲間に加わることになった。
それともう一つ、こちらは以前より取り組んでいたシュタイナー思想の方向からの誘いであったが、これまた内輪の小さな研究会に参加できることになった。
現在私はほぼ月2回、シュタイナー思想の二つの読書会(講義形式の)に参加している。コンスタントに読み続けるにはとてもいい機会ではあるが、少し熱は鎮まり気味であった。
そこに以前から私が最も聴きたいと思っていた方が、テキストを翻訳しつつ、そのエッセンスを話してくれるという長い間切望していたような企画が、急に横浜で立ち上がることになり、そこの仲間に加われることになったのだ。
先日、その第一回目の集まりが市内の某所で、夕刻より始まった。
市内といえども高台にあるその場所は、森林公園の深い緑に包まれて、静かな夜空に虫の声だけが響き渡るようなちょっと得がたい空気の満ちているところであった。
昼間は人智学的な観点からの医療も試みられているクリニックの静かな一室で、その集まりは開かれた。
こちらもほんとに内容が濃くて、その場でのメモがとても追いつかないようなものであった。
不思議なのだが、参加したその夜は何かが刺激されてしまって、そのまま寝付くことができなかった。
笑われるかもしれないが、帰宅後ドラマのDVDを午前2時過ぎまで見て、集中しすぎた何かを少し散らさなければとても寝付かれないような、不思議な興奮に全身が包まれてしまっていたのだ。
その興奮は幾分鎮まったが、それでも話の断片が思い出そうとしなくてもしばしば蘇えってきて、沈むのにまだまだ時間がかかりそうなのだ。
『熱』の話、『私』の話、『霊』の話・・・、と言っても、その話を聞いていない、またそういうことに関心のない人には何のことやら、ということになるのだが・・・。
そしてこういう内容が、語り手の『私=霊』から、聞き手の『私=霊』に直に伝わってきてしまった、だからこんなに印象が強かった――そんな気がする、それは経験だったのだ。(よけいわからない!?)
この中でも『熱』の話は特に印象的であった。
それは『エネルギー』や『思い』の話に展開されていった。
言ってみれば『思い』は『熱』であり『エネルギー』であるということにもなると思うのだが、それはまさに『熱』のこもった話だったのである。(語り手の意図はもっと深いところにあったのかもしれません。とっても粗雑に理解しているような気がしますが。)
私にとって、今年このような機会が巡ってきたことは、まずは素直にとてもうれしくて仕方がない。
それぞれに、そこにはすでに驚くほど熱心にそれらのことに取り組んでいる人々がいるので、何とか足をひっぱらないように、私も今まで以上にしっかり読むものを読んで色々考えを深めていきたい、と思っている。
それと同時に今回のこのような展開の中で、ふと思うのは、図らずもこういった機会に繋がるようになった始まりには、年頭に抱いたあの『思い』が、深く関わっているような気がしてならない。
今回私が抱いた『思い』は、自分でも少しはっとするような『思い』であった。
それは心の最も深いところから湧いてきていた。
静かだけれどどこか力強さをたたえながら、ある種の予感を持って、それは私の意識に浮上してきていたような気がする。だから、自覚できたのだ。
そういう『思い』が、今回のような『機会』に自分を運んでいったのではないか、と思うのだ。
そして視点を変えれば、すでにそういう研究会を始めていた方々や、また呼びかけてくれた人の方にも、それぞれにそういうことを実現する方向に向かわせていた、深い強い『思い』があったにちがいない。
そういう『思い』が結集してそういう『形』になったにちがいない。
ということは、私の『思い』が、そういう人々の『思い』に繋がって、だからこそ私をそういう『場所』に運んでいったのだ、ということになる。
しかも結びついたその集まりで、『熱』についての、『思い』についての根源的な話を聴くことになったのだ。
何だかそのことも印象が深くて、私を眠れなくさせたのではないかという気がしてならない。
・・・・・・・・・・
以上のことを書きたいと2〜3日考えていたら、昨日、夕方友人と急に会えることになり、不登校やひきこもりについてじっくり話すことができた。
友人は、不登校とひきこもりの両方を経験してきた、鋭い感性と知性をあわせ持つ40代の女性なのだが、私達は出会うとほんとに尽きることなく、話をすることができ、昨夜は危うく最終電車に乗り遅れるほどだった。
ここしばらく、上記のテーマを巡ってずっと話し続けてきたのだが、その彼女との対話のおかげで、今までなかなかこんがらがって解らなかったことが、今回かなり整理して考えられるようになった。
こういう了解や納得が、また新たな『思い』や『意志』を生んでいくのだと思う。
こちらも何らかの動き(形)に繋がっていくかもしれない予感が湧いてきて、またまたうれしい意味で寝付けなかった。
そして、『少し思い切って勇気を出してダメもとで、一歩を踏み出してみよう!』という漠然とした、しかしどこか確かな『思い』を持っていた。
といっても特別何かを『する』ということではなかった。
それはむしろ一般的には静的と思われることで、例えば自分が今まで関心を持ちつつそのままにしていたような領域に今年は、失敗を恐れず思い切って踏み込んでみよう、というような意味合いのものであった。
当初は昨年から読み始めていたケン・ウィルバーを読み込んでみたい、そのために小さな読書会グループを作ろう、というようなことを考えていた。
しかし、こちらはそうそう一緒にのめりこんでくれる仲間が見つかるものでもなかったので、しばらく留保することにした。
そうこうしているうちにトランスパーソナル心理学・精神医学の分野で基礎的な研究会が都内で開かれていることをネットで知り、もぐりこませてもらえることになった。
参加者は10人ちょっとの集まりながら、大学の先生や院生、その道に造詣の深い人などが集まっており、トランスパーソナルのテキストを読みながら濃い内容の話が展開されていた。
スピリチュアリティをめぐって、医療や教育、宗教と幅広い分野にまたがりながら、毎回ちょっと他では聴けない最前線の刺激的かつ真面目な話をする仲間に加わることになった。
それともう一つ、こちらは以前より取り組んでいたシュタイナー思想の方向からの誘いであったが、これまた内輪の小さな研究会に参加できることになった。
現在私はほぼ月2回、シュタイナー思想の二つの読書会(講義形式の)に参加している。コンスタントに読み続けるにはとてもいい機会ではあるが、少し熱は鎮まり気味であった。
そこに以前から私が最も聴きたいと思っていた方が、テキストを翻訳しつつ、そのエッセンスを話してくれるという長い間切望していたような企画が、急に横浜で立ち上がることになり、そこの仲間に加われることになったのだ。
先日、その第一回目の集まりが市内の某所で、夕刻より始まった。
市内といえども高台にあるその場所は、森林公園の深い緑に包まれて、静かな夜空に虫の声だけが響き渡るようなちょっと得がたい空気の満ちているところであった。
昼間は人智学的な観点からの医療も試みられているクリニックの静かな一室で、その集まりは開かれた。
こちらもほんとに内容が濃くて、その場でのメモがとても追いつかないようなものであった。
不思議なのだが、参加したその夜は何かが刺激されてしまって、そのまま寝付くことができなかった。
笑われるかもしれないが、帰宅後ドラマのDVDを午前2時過ぎまで見て、集中しすぎた何かを少し散らさなければとても寝付かれないような、不思議な興奮に全身が包まれてしまっていたのだ。
その興奮は幾分鎮まったが、それでも話の断片が思い出そうとしなくてもしばしば蘇えってきて、沈むのにまだまだ時間がかかりそうなのだ。
『熱』の話、『私』の話、『霊』の話・・・、と言っても、その話を聞いていない、またそういうことに関心のない人には何のことやら、ということになるのだが・・・。
そしてこういう内容が、語り手の『私=霊』から、聞き手の『私=霊』に直に伝わってきてしまった、だからこんなに印象が強かった――そんな気がする、それは経験だったのだ。(よけいわからない!?)
この中でも『熱』の話は特に印象的であった。
それは『エネルギー』や『思い』の話に展開されていった。
言ってみれば『思い』は『熱』であり『エネルギー』であるということにもなると思うのだが、それはまさに『熱』のこもった話だったのである。(語り手の意図はもっと深いところにあったのかもしれません。とっても粗雑に理解しているような気がしますが。)
私にとって、今年このような機会が巡ってきたことは、まずは素直にとてもうれしくて仕方がない。
それぞれに、そこにはすでに驚くほど熱心にそれらのことに取り組んでいる人々がいるので、何とか足をひっぱらないように、私も今まで以上にしっかり読むものを読んで色々考えを深めていきたい、と思っている。
それと同時に今回のこのような展開の中で、ふと思うのは、図らずもこういった機会に繋がるようになった始まりには、年頭に抱いたあの『思い』が、深く関わっているような気がしてならない。
今回私が抱いた『思い』は、自分でも少しはっとするような『思い』であった。
それは心の最も深いところから湧いてきていた。
静かだけれどどこか力強さをたたえながら、ある種の予感を持って、それは私の意識に浮上してきていたような気がする。だから、自覚できたのだ。
そういう『思い』が、今回のような『機会』に自分を運んでいったのではないか、と思うのだ。
そして視点を変えれば、すでにそういう研究会を始めていた方々や、また呼びかけてくれた人の方にも、それぞれにそういうことを実現する方向に向かわせていた、深い強い『思い』があったにちがいない。
そういう『思い』が結集してそういう『形』になったにちがいない。
ということは、私の『思い』が、そういう人々の『思い』に繋がって、だからこそ私をそういう『場所』に運んでいったのだ、ということになる。
しかも結びついたその集まりで、『熱』についての、『思い』についての根源的な話を聴くことになったのだ。
何だかそのことも印象が深くて、私を眠れなくさせたのではないかという気がしてならない。
・・・・・・・・・・
以上のことを書きたいと2〜3日考えていたら、昨日、夕方友人と急に会えることになり、不登校やひきこもりについてじっくり話すことができた。
友人は、不登校とひきこもりの両方を経験してきた、鋭い感性と知性をあわせ持つ40代の女性なのだが、私達は出会うとほんとに尽きることなく、話をすることができ、昨夜は危うく最終電車に乗り遅れるほどだった。
ここしばらく、上記のテーマを巡ってずっと話し続けてきたのだが、その彼女との対話のおかげで、今までなかなかこんがらがって解らなかったことが、今回かなり整理して考えられるようになった。
こういう了解や納得が、また新たな『思い』や『意志』を生んでいくのだと思う。
こちらも何らかの動き(形)に繋がっていくかもしれない予感が湧いてきて、またまたうれしい意味で寝付けなかった。
2008年08月22日
よそのお宅のことですが
日本人なら誰でもが知る有名な某家の一人娘のA子ちゃんのことが、前から少し気になっている。
一昨日もどこそこにある別荘に一家で避暑におでかけ、とのことで両親と衆目の前に姿を現した彼女の姿がTVのニュースで流れた。
そのお宅のことが大好きな350人ほどが、ワーワーキャーキャーと小旗などを振る中を、小学一年の夏休み中である彼女は母親と手を繋ぎながら、通り過ぎねばならなかった。
画面にはあまり映らないが、さらにその周りにはさぞや大勢の警護の人間やマスコミのカメラマン達が取り囲んでいたことだろう。
父親は幼少の頃より身に付いた職業的ともいえる満面の笑み。
母親もとても心からとは思えないが、とりあえずぎりぎりのところで身にまとった武装の笑み。
そして、彼女はというと・・。
初めは両親と一緒にお出かけで楽しそうな笑みを浮かべていたが、取り囲む人々を見て徐々に顔がこわばり始め、最後は大勢の視線に曝されて、まさに凍りついた表情になっていた。
その瞳からは、『一体これは何?私はどうしてこんなところに居るの?』というような問いが、いくつも発せられているかのようだった。
アナウンサーは『かわいらしい笑顔で・・・』などと、白々しいコメントを出していたが、誰もそのとおりには思わなかっただろう。
私は、折に触れ画面に映し出される(それは生後間もない頃から始まったわけだが)A子ちゃんの表情に、とても気になるものを感じている。
それは、彼女の表情やまなざしの中に、かつての私の娘の表情に似た『何か』を、見出してきたからである。
娘が三歳になったくらいの時からだったと思うが、まったく無心であった乳幼児期とは微妙に違う『何か』が、そこにはしばしば現われるようになった。
たった三歳ぐらいでそのような変化があるものか、三歳といえばまだまだ無邪気な幼児期ではないか、と思う人は多いだろう。
しかし何年も経ってからだったが、成長した我が子の口から私が聞いた言葉は、いかに三歳が色々なことを感じて生きていたか、ということばかりだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
娘は三歳で三年保育の幼稚園に通い始めた。
彼女には大勢の中で、誰に向けられるともわからない言葉(主にそれは指示的な言葉だったが。)がまず不可解で違和感のあることだった。
さらにその言葉によりロボットのように一斉に動かなければならないことは、娘には不安であり恐怖であった。
お眠りタイムというものがあって、眠りたくもないのに目をつぶらなくてはいけなかったが、それは暗闇に落ちていくに似た感じのことだった。
他の幼児と過ごしながら、なぜかその『外側』からその様子をじっと眺めている『私』がいた、こともあった。
娘はその年の二学期ぐらいから登園拒否になった。
それから娘の集団における苦難の歴史が始まった。
・・・・・・・
要するに私が今になって思うのは、彼女にはいささか人よりは早く目覚めてしまった『何か』があった、ということである。
一般的には幼児がどのような感性で生きて生活しているかは、主には外からの観察によるしかない。
すると観察者自身が自分の幼児期を、余程意識的に生きた人でないかぎり、『大人の目』でわかることしか語られていないことになる。
私はたまたま我が子が上記のような人であったことから、幼児といえども中には大人が想像もつかないくらい、複雑な内面生活を送っていることがある、ということを伺い知ることになった。
ここで注意したいのは、そのような感性があるからといって、そこに人の優劣があると思っているわけではないということである。
むしろそれがために、娘がどれくらい幼稚園やその先に続いた学校で、親にもわからない苦労をせねばならなかったかを考えると、そんな感性は決して望むようなものではない。
娘の歴史は、そういう自分を肯定し、自分を無理に周囲に合わせようとすることを≪一つ一つやめていく≫歴史でもあった。
しかしそれは幼いながらも、生死の淵を彷徨わねばならない程の、命をかけたぎりぎりの厳しい経験でもあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、話を戻そう。
某家のA子ちゃんの中に、僭越を承知で言うなら、私はあの頃の娘に宿っていたと同じような表情が見えてきて、決してよそさまのできごととは思えない昨今なのである。
その表情はA子ちゃんが三歳くらいの頃より垣間見る思いがしていたが、一昨日の表情にはいよいよそのことが顕著に感じられた。
彼女は今年の春、小学校に上がった。
公立と私立、教育の仕方には違いがあるだろうが、現代の日本の学校であることに変わりはない。
彼女に対しては、かつてとは違ったそれなりの配慮がされているだろうが、それが顕著であろうがなかろうが特別であるには違いない。
そして、とりわけ、どこかに出かけるたびに大勢の人の視線に曝されてしまうあのような環境。
それらが大きく変わることは当分ないだろう。
また伝え聞く母親の不調もある。
祖父母との関係などもとても難しいらしい。
要するに、普通でさえ人一人が成長していくのにとても大変なことが多い今の日本の環境なのに、彼女の環境はそれに何十にも輪をかけた厳しさを伴っている。
その環境の中で彼女は、すでに解きようもないほどの大きな問いを抱えている。(一昨日の表情がそれを語っている。)
同時に、早くに目覚めた『何か』も体験しているように見える。
それがそういう環境から生まれたものなのか、或いは生来持っていたものであるのかは判らない。
敏感な素質の上に、特殊な環境がそういう傾向を一層強めていったということもあるだろう。
しかしそんな時、集団の一人として『意味もわからずみんなと同じことをする』などということはとても困難なことになる。
問いを抱えた人間は、それだけで苦しいのだから、せめてゆっくり考えられるよう、暖かく見守る人や環境が必要なのに、集団はそれを許さない。
集団は彼女に必要なエネルギーを補給するよりも、むしろ無駄にそれを奪い取ってしまうだろう。
早晩、彼女に集団は合わなくなるのではないだろうか、と元不登校児の親として私は直感し危惧する。
勿論、他の彼女の従姉達は似たような境遇なのにそのようなことにはならなかった、という声があるだろう。
でも私の目から見るに、彼女の感性は従姉達とは違うのである。
彼女がこの環境の中で、どのようにサバイブしていくか、ある意味その母親の苦難とはまた異なる大きな苦難が想像される。
どうか、隠したり、無理に行かそうとしたりしないようにと、私たちが歩んできた以上の困難が想像されるので、それを切に願ってしまう。
これらのことが私の狭い了見からくる単なる的外れ予想であるのが一番いいのだが・・・。
但し、悪いことばかりではない。
それなりに恵まれたところのある環境でもある。
元来、他にはまねのできないような人的資源に恵まれたホームエドュケーションの伝統を持つ家系でもある。
もし、彼女が『集団』にいることが厳しくなったら、何も『学校』にこだわらずにその伝統を復活させたらいいのではないだろうか、と我が家では話している。
そうすれば、同じように集団が合わなくなった他の多くの子ども達も、今より多少楽になれるにちがいない。
不謹慎かもしれないが、そんな波及効果も予測のうちには入っている。
一昨日もどこそこにある別荘に一家で避暑におでかけ、とのことで両親と衆目の前に姿を現した彼女の姿がTVのニュースで流れた。
そのお宅のことが大好きな350人ほどが、ワーワーキャーキャーと小旗などを振る中を、小学一年の夏休み中である彼女は母親と手を繋ぎながら、通り過ぎねばならなかった。
画面にはあまり映らないが、さらにその周りにはさぞや大勢の警護の人間やマスコミのカメラマン達が取り囲んでいたことだろう。
父親は幼少の頃より身に付いた職業的ともいえる満面の笑み。
母親もとても心からとは思えないが、とりあえずぎりぎりのところで身にまとった武装の笑み。
そして、彼女はというと・・。
初めは両親と一緒にお出かけで楽しそうな笑みを浮かべていたが、取り囲む人々を見て徐々に顔がこわばり始め、最後は大勢の視線に曝されて、まさに凍りついた表情になっていた。
その瞳からは、『一体これは何?私はどうしてこんなところに居るの?』というような問いが、いくつも発せられているかのようだった。
アナウンサーは『かわいらしい笑顔で・・・』などと、白々しいコメントを出していたが、誰もそのとおりには思わなかっただろう。
私は、折に触れ画面に映し出される(それは生後間もない頃から始まったわけだが)A子ちゃんの表情に、とても気になるものを感じている。
それは、彼女の表情やまなざしの中に、かつての私の娘の表情に似た『何か』を、見出してきたからである。
娘が三歳になったくらいの時からだったと思うが、まったく無心であった乳幼児期とは微妙に違う『何か』が、そこにはしばしば現われるようになった。
たった三歳ぐらいでそのような変化があるものか、三歳といえばまだまだ無邪気な幼児期ではないか、と思う人は多いだろう。
しかし何年も経ってからだったが、成長した我が子の口から私が聞いた言葉は、いかに三歳が色々なことを感じて生きていたか、ということばかりだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
娘は三歳で三年保育の幼稚園に通い始めた。
彼女には大勢の中で、誰に向けられるともわからない言葉(主にそれは指示的な言葉だったが。)がまず不可解で違和感のあることだった。
さらにその言葉によりロボットのように一斉に動かなければならないことは、娘には不安であり恐怖であった。
お眠りタイムというものがあって、眠りたくもないのに目をつぶらなくてはいけなかったが、それは暗闇に落ちていくに似た感じのことだった。
他の幼児と過ごしながら、なぜかその『外側』からその様子をじっと眺めている『私』がいた、こともあった。
娘はその年の二学期ぐらいから登園拒否になった。
それから娘の集団における苦難の歴史が始まった。
・・・・・・・
要するに私が今になって思うのは、彼女にはいささか人よりは早く目覚めてしまった『何か』があった、ということである。
一般的には幼児がどのような感性で生きて生活しているかは、主には外からの観察によるしかない。
すると観察者自身が自分の幼児期を、余程意識的に生きた人でないかぎり、『大人の目』でわかることしか語られていないことになる。
私はたまたま我が子が上記のような人であったことから、幼児といえども中には大人が想像もつかないくらい、複雑な内面生活を送っていることがある、ということを伺い知ることになった。
ここで注意したいのは、そのような感性があるからといって、そこに人の優劣があると思っているわけではないということである。
むしろそれがために、娘がどれくらい幼稚園やその先に続いた学校で、親にもわからない苦労をせねばならなかったかを考えると、そんな感性は決して望むようなものではない。
娘の歴史は、そういう自分を肯定し、自分を無理に周囲に合わせようとすることを≪一つ一つやめていく≫歴史でもあった。
しかしそれは幼いながらも、生死の淵を彷徨わねばならない程の、命をかけたぎりぎりの厳しい経験でもあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、話を戻そう。
某家のA子ちゃんの中に、僭越を承知で言うなら、私はあの頃の娘に宿っていたと同じような表情が見えてきて、決してよそさまのできごととは思えない昨今なのである。
その表情はA子ちゃんが三歳くらいの頃より垣間見る思いがしていたが、一昨日の表情にはいよいよそのことが顕著に感じられた。
彼女は今年の春、小学校に上がった。
公立と私立、教育の仕方には違いがあるだろうが、現代の日本の学校であることに変わりはない。
彼女に対しては、かつてとは違ったそれなりの配慮がされているだろうが、それが顕著であろうがなかろうが特別であるには違いない。
そして、とりわけ、どこかに出かけるたびに大勢の人の視線に曝されてしまうあのような環境。
それらが大きく変わることは当分ないだろう。
また伝え聞く母親の不調もある。
祖父母との関係などもとても難しいらしい。
要するに、普通でさえ人一人が成長していくのにとても大変なことが多い今の日本の環境なのに、彼女の環境はそれに何十にも輪をかけた厳しさを伴っている。
その環境の中で彼女は、すでに解きようもないほどの大きな問いを抱えている。(一昨日の表情がそれを語っている。)
同時に、早くに目覚めた『何か』も体験しているように見える。
それがそういう環境から生まれたものなのか、或いは生来持っていたものであるのかは判らない。
敏感な素質の上に、特殊な環境がそういう傾向を一層強めていったということもあるだろう。
しかしそんな時、集団の一人として『意味もわからずみんなと同じことをする』などということはとても困難なことになる。
問いを抱えた人間は、それだけで苦しいのだから、せめてゆっくり考えられるよう、暖かく見守る人や環境が必要なのに、集団はそれを許さない。
集団は彼女に必要なエネルギーを補給するよりも、むしろ無駄にそれを奪い取ってしまうだろう。
早晩、彼女に集団は合わなくなるのではないだろうか、と元不登校児の親として私は直感し危惧する。
勿論、他の彼女の従姉達は似たような境遇なのにそのようなことにはならなかった、という声があるだろう。
でも私の目から見るに、彼女の感性は従姉達とは違うのである。
彼女がこの環境の中で、どのようにサバイブしていくか、ある意味その母親の苦難とはまた異なる大きな苦難が想像される。
どうか、隠したり、無理に行かそうとしたりしないようにと、私たちが歩んできた以上の困難が想像されるので、それを切に願ってしまう。
これらのことが私の狭い了見からくる単なる的外れ予想であるのが一番いいのだが・・・。
但し、悪いことばかりではない。
それなりに恵まれたところのある環境でもある。
元来、他にはまねのできないような人的資源に恵まれたホームエドュケーションの伝統を持つ家系でもある。
もし、彼女が『集団』にいることが厳しくなったら、何も『学校』にこだわらずにその伝統を復活させたらいいのではないだろうか、と我が家では話している。
そうすれば、同じように集団が合わなくなった他の多くの子ども達も、今より多少楽になれるにちがいない。
不謹慎かもしれないが、そんな波及効果も予測のうちには入っている。
2008年08月12日
涼を求めて
書きたいと思うことがないわけではないのですが、色々と日常の雑用に追われて(こういうのってちょっと悲しい・・)、まとめる時間やエネルギーがやや不足です。
今夜から娘の知り合いが泊まりに来ます。
娘が昨年、リトアニアに再訪した時に出会ったカップルということで、2泊の予定です。
何にもしなくていい、とのことだったのですが、日頃の手抜き掃除でずっと目をつぶっていたところを、少しだけ片付けたり掃除したりしました。
バテバテです^^;
娘のおかげで我が家はたまに異文化交流があります。
明日は夫も含め5人で少し涼しいところを求めてドライブの予定です。
今日は少しでも涼しくなるよう、涼しげな写真を貼り付けます。
城山湖のほとりにある『水の苑地』です。昨年撮りました。
今デスクトップの背景に一番上の写真を使っていますが、PCを開くたび一瞬ですが、涼風が漂います。(^^)
***************



今夜から娘の知り合いが泊まりに来ます。
娘が昨年、リトアニアに再訪した時に出会ったカップルということで、2泊の予定です。
何にもしなくていい、とのことだったのですが、日頃の手抜き掃除でずっと目をつぶっていたところを、少しだけ片付けたり掃除したりしました。
バテバテです^^;
娘のおかげで我が家はたまに異文化交流があります。
明日は夫も含め5人で少し涼しいところを求めてドライブの予定です。
今日は少しでも涼しくなるよう、涼しげな写真を貼り付けます。
城山湖のほとりにある『水の苑地』です。昨年撮りました。
今デスクトップの背景に一番上の写真を使っていますが、PCを開くたび一瞬ですが、涼風が漂います。(^^)
***************
2008年08月07日
2008年8月7日の青空
再開したものの、またまた更新ができずにいました。
ちょっと気にかかることができてしまって、ブログの方にまでエネルギーを向けることができませんでした。
小さなことではありましたが、それなりに私の心の中はてんやわんやで、危うく鬱状態に近いところまで入っていってしまっていました。
色々な人に相談したり、聞いてもらったりしてどうにかこうにか乗り切ることができました。
まだまだ修行が足りないと思いました。
念のため言い添えておくと、我が家の長年の係りごとである、夫のことではありません。
こちらも相変わらずですが、どういうわけかこちらはさすがに長年の修練の甲斐あってか、私の心は結構揺らがない状態になっております。
色々あって当たり前、不安定であって当たり前、になっているので、自分でも驚くほどある意味安定の域に達しているようです。(同じこと前にも書きましたね。)
それどころか、夫にはめったに相談しないのですが、今回は少々参ったと思い、夫にも相談しました。
すると、普段はほとんど私の話に耳を貸さない夫ですが、こういう時はこちらが驚くほど的確なフォローをしてくれるわけです。
何かここ一番という時を動物的な勘で知っているかのように、ツボを心得た助言をしてくれ、うまいものを食べに誘ってくれるなど気配りも満点になるのです。
これぞギャンブラーの勘!なのかもしれません。
私の様な立場は、世間では依存の伴侶を支える供依存の伴侶と括られて、上記のようなやりとりもその典型の一端とみられがちなわけです。
でも、この辺りのことについては他人にとやかく言われたくないと思います。
何を大事にするかは自分で決めたいと思っています。
・・・・
ところで、今日はどういうわけかこちら横浜ではまるで台風でも去った後のような、真っ青な夏空が広がりました。
都会の空は、地平線近くは大気汚染でどんより紫に濁っているのが常ですが、今朝はそれもなく、まるで少し秋が近いかな?と思わせるほどの青空でした。
以前も『青』についてはブログで記事にしたことがありましたが、『空の青』というのは私にとって永遠の神秘だ、と思います。見飽きるということがありません。
晴れであれば、いつでも見ようと思えば見れるのに、観るたび何か言うに言われない感覚に襲われます。
そして、こんな不思議なことのもとに毎日生きているということが、何より不思議でたまらなくなります。
朝、十時頃に観た青空はほんとにほとんど真っ青そのものでした。
真上の空を眺めていると、何か吸い込まれていく様な錯覚に陥るのは私だけではないでしょう。
見上げているのに落ちていくような感じ。
あの青の向こうには、宇宙の漆黒の闇が広がっている。
吸い込まれそうな感覚はそのせいなのでしょうか。
日常の出来事に一喜一憂しながら生きている私。
それでも2008年8月7日に見ている青空は、そういう私の中に永遠なものを刻んでいる。
いつかきっとどこかで涙の出るほどなつかしく思い出すに違いない、そう思いました。
************************
久しぶりに家の周りをうろついて撮ってみました。
残念ながら十時にはカメラを手にすることができず、正午頃の空です。
2008年8月7日の青空

隣の教会

三角の飛行物体はアゲハ!
ちょっと気にかかることができてしまって、ブログの方にまでエネルギーを向けることができませんでした。
小さなことではありましたが、それなりに私の心の中はてんやわんやで、危うく鬱状態に近いところまで入っていってしまっていました。
色々な人に相談したり、聞いてもらったりしてどうにかこうにか乗り切ることができました。
まだまだ修行が足りないと思いました。
念のため言い添えておくと、我が家の長年の係りごとである、夫のことではありません。
こちらも相変わらずですが、どういうわけかこちらはさすがに長年の修練の甲斐あってか、私の心は結構揺らがない状態になっております。
色々あって当たり前、不安定であって当たり前、になっているので、自分でも驚くほどある意味安定の域に達しているようです。(同じこと前にも書きましたね。)
それどころか、夫にはめったに相談しないのですが、今回は少々参ったと思い、夫にも相談しました。
すると、普段はほとんど私の話に耳を貸さない夫ですが、こういう時はこちらが驚くほど的確なフォローをしてくれるわけです。
何かここ一番という時を動物的な勘で知っているかのように、ツボを心得た助言をしてくれ、うまいものを食べに誘ってくれるなど気配りも満点になるのです。
これぞギャンブラーの勘!なのかもしれません。
私の様な立場は、世間では依存の伴侶を支える供依存の伴侶と括られて、上記のようなやりとりもその典型の一端とみられがちなわけです。
でも、この辺りのことについては他人にとやかく言われたくないと思います。
何を大事にするかは自分で決めたいと思っています。
・・・・
ところで、今日はどういうわけかこちら横浜ではまるで台風でも去った後のような、真っ青な夏空が広がりました。
都会の空は、地平線近くは大気汚染でどんより紫に濁っているのが常ですが、今朝はそれもなく、まるで少し秋が近いかな?と思わせるほどの青空でした。
以前も『青』についてはブログで記事にしたことがありましたが、『空の青』というのは私にとって永遠の神秘だ、と思います。見飽きるということがありません。
晴れであれば、いつでも見ようと思えば見れるのに、観るたび何か言うに言われない感覚に襲われます。
そして、こんな不思議なことのもとに毎日生きているということが、何より不思議でたまらなくなります。
朝、十時頃に観た青空はほんとにほとんど真っ青そのものでした。
真上の空を眺めていると、何か吸い込まれていく様な錯覚に陥るのは私だけではないでしょう。
見上げているのに落ちていくような感じ。
あの青の向こうには、宇宙の漆黒の闇が広がっている。
吸い込まれそうな感覚はそのせいなのでしょうか。
日常の出来事に一喜一憂しながら生きている私。
それでも2008年8月7日に見ている青空は、そういう私の中に永遠なものを刻んでいる。
いつかきっとどこかで涙の出るほどなつかしく思い出すに違いない、そう思いました。
************************
久しぶりに家の周りをうろついて撮ってみました。
残念ながら十時にはカメラを手にすることができず、正午頃の空です。
2008年8月7日の青空
隣の教会
三角の飛行物体はアゲハ!
2008年06月20日
デザイン一新
ブログのデザインを一新してみた。
このミルク・ティーというブログを書き始めたのは確かもう3年前のこと。
書き始めたら止まらなくなり、一年ぐらい経ったら何か強迫的に自分を追い込んでいるようなところが出てきてしまったので、そこで一旦休止した。
どうも何かを始めると、結構根を詰めて脅迫的に取り組んでしまうところが私にはあるらしい、と最近になって自覚。
ある時など、編み物に夢中になり(これは一般にもよくあることだが)、ワンシーズンで10枚以上のセーターやカーディガンを編んでしまった。
お菓子作りや洋裁にも嵌まったことがあった。
また一時期、パートでハウスモデル(家の縮小模型)を作る小さな会社に勤めたことがあったが、この時も面白くて仕方がなくなり、家に帰りたくなくなった。
趣味の方はどれも特にどこかへ習いに行くということではなく、大体、独学の自己流。
従って、編み物など本を読んでもどうしてもわからないところが出てくると、教えてくれる人はいないから、そこで何時間もひっかかったままになる。
一晩中、試行錯誤してもできないこともあって、投げ出したくなることもしばしば。
そんな時には眠っている間もそのことをおぼろに考えている。
翌朝には、まあどういうわけか少し気力が回復して、気を取り直し再挑戦。
そしてついに、問題解決!
意外にとんでもない簡単なことを思い違えていたこともよくあった。
それでも、そんな風にして突破口が開いた時には、つくづく人に教わらずによかった、と思った。
教わっていたら急転直下、難問解決のあの爽快感を味わうことは決してなかっただろうから。
パソコンを始めた頃も随分苦労した。
丁度頼りにしていた娘が、リトアニアに留学して傍にいなくなっていたから、まさに暗中模索。
そもそも、パソコンは、娘とメールのやりとりができるようになりたい、の一心で始めたこと。
留学直前に3週間ほど手ほどきを受けたのみだった。
ブロードバンドの契約もしどろもどろで苦労した。
何をどうつないでいいやらわからず、よけいな部品を買い込んでつなごうとしていたので3日間悪戦苦闘。
繋がらないサービスセンターに電話をかけ続け、3人目の人が言ったとおりにしたら無事開通、神様に思えた。
ウィルスにやられて青ざめたこともあった。
こちらも何度も投げ出したくなりながらの一歩一歩だった。
それでも少しずつ覚えていって、どうにかキーボードを打てるようになり、メールのやりとりもスムーズにいくようになり、何といってもネットの便利さを覚えて何かあればネットで検索という毎日になった。
このブログは、ひょんなことから若い友人がお膳立てをしてくれたので、では、ということで書き始めた。
書き始めたら、さすがに生きてきた年数のせいか、文章にしたいと思うことが随分溜まっていたようで、それを吐き出すかのように綴ってしまったのが、かの一年間であった。
でもちょっと追い立てられるようなものを自分自身に感じ、どこか書くということに捕らわれるようになってきてしまったので、ちょっとまずいと感じて休止した。
何より、書きたいと思ったことを一通りは書いた、せいかもしれない。
それに書いていると本を読む時間とエネルギーが削られたのも痛かった。
だから、休んだこの2年間くらいは随分読書に集中できた。
≪新ひきこもりについて考える会≫から派生した読書会の世話人をしていることもあって、まずはひきこもり関係の本。
それからひきこもりについて考えていると、どうしても人生とは何か?生きる意味とは何か?ということに繋がるから、そこから発展した人生論的な本。
それはシュタイナー思想にも結びつくけれど、さらにはそういう人間の霊的なことについて、シュタイナー以外のところではどのように考えられているか気になり、トランスパーソナル心理学の方にも関心が広がった。
そして、またこの5月に何となくこのブログに戻ってきた。
今度は少し以前と趣を変えて書いてみようと思っている。
できれば、日常のことよりはもうちょっと深いところ、でも一番深いところというよりは、日常にも近いところ、そんな辺りで魂が感じていることを書いてみたい。
何となくおぼろではあるが、でも浮上しかかっているようなこと、を言葉にしてみたい。
あまり確かではないことも書くかもしれないし、少し踏み込んだことを言語化するかもしれない。
折角、再スタートを始めたので、失敗を恐れず、試行錯誤の自己流で試してみようと思う。
それに少し雑になるかもしれないけれど、あまり吟味せずに掲載するつもり。
こだわりを少しやわらげるために、時間もかけすぎないようにしたい。
ブログのデザインは、写真を色々探してみて疲れた頃、ふと見つかったもの。自分でカットして作った。
今の自分のイメージには結構合っている、と気に入っている。
(もっと変えたいところはありますが、今の私の技術ではこれが精一杯^^。)
このミルク・ティーというブログを書き始めたのは確かもう3年前のこと。
書き始めたら止まらなくなり、一年ぐらい経ったら何か強迫的に自分を追い込んでいるようなところが出てきてしまったので、そこで一旦休止した。
どうも何かを始めると、結構根を詰めて脅迫的に取り組んでしまうところが私にはあるらしい、と最近になって自覚。
ある時など、編み物に夢中になり(これは一般にもよくあることだが)、ワンシーズンで10枚以上のセーターやカーディガンを編んでしまった。
お菓子作りや洋裁にも嵌まったことがあった。
また一時期、パートでハウスモデル(家の縮小模型)を作る小さな会社に勤めたことがあったが、この時も面白くて仕方がなくなり、家に帰りたくなくなった。
趣味の方はどれも特にどこかへ習いに行くということではなく、大体、独学の自己流。
従って、編み物など本を読んでもどうしてもわからないところが出てくると、教えてくれる人はいないから、そこで何時間もひっかかったままになる。
一晩中、試行錯誤してもできないこともあって、投げ出したくなることもしばしば。
そんな時には眠っている間もそのことをおぼろに考えている。
翌朝には、まあどういうわけか少し気力が回復して、気を取り直し再挑戦。
そしてついに、問題解決!
意外にとんでもない簡単なことを思い違えていたこともよくあった。
それでも、そんな風にして突破口が開いた時には、つくづく人に教わらずによかった、と思った。
教わっていたら急転直下、難問解決のあの爽快感を味わうことは決してなかっただろうから。
パソコンを始めた頃も随分苦労した。
丁度頼りにしていた娘が、リトアニアに留学して傍にいなくなっていたから、まさに暗中模索。
そもそも、パソコンは、娘とメールのやりとりができるようになりたい、の一心で始めたこと。
留学直前に3週間ほど手ほどきを受けたのみだった。
ブロードバンドの契約もしどろもどろで苦労した。
何をどうつないでいいやらわからず、よけいな部品を買い込んでつなごうとしていたので3日間悪戦苦闘。
繋がらないサービスセンターに電話をかけ続け、3人目の人が言ったとおりにしたら無事開通、神様に思えた。
ウィルスにやられて青ざめたこともあった。
こちらも何度も投げ出したくなりながらの一歩一歩だった。
それでも少しずつ覚えていって、どうにかキーボードを打てるようになり、メールのやりとりもスムーズにいくようになり、何といってもネットの便利さを覚えて何かあればネットで検索という毎日になった。
このブログは、ひょんなことから若い友人がお膳立てをしてくれたので、では、ということで書き始めた。
書き始めたら、さすがに生きてきた年数のせいか、文章にしたいと思うことが随分溜まっていたようで、それを吐き出すかのように綴ってしまったのが、かの一年間であった。
でもちょっと追い立てられるようなものを自分自身に感じ、どこか書くということに捕らわれるようになってきてしまったので、ちょっとまずいと感じて休止した。
何より、書きたいと思ったことを一通りは書いた、せいかもしれない。
それに書いていると本を読む時間とエネルギーが削られたのも痛かった。
だから、休んだこの2年間くらいは随分読書に集中できた。
≪新ひきこもりについて考える会≫から派生した読書会の世話人をしていることもあって、まずはひきこもり関係の本。
それからひきこもりについて考えていると、どうしても人生とは何か?生きる意味とは何か?ということに繋がるから、そこから発展した人生論的な本。
それはシュタイナー思想にも結びつくけれど、さらにはそういう人間の霊的なことについて、シュタイナー以外のところではどのように考えられているか気になり、トランスパーソナル心理学の方にも関心が広がった。
そして、またこの5月に何となくこのブログに戻ってきた。
今度は少し以前と趣を変えて書いてみようと思っている。
できれば、日常のことよりはもうちょっと深いところ、でも一番深いところというよりは、日常にも近いところ、そんな辺りで魂が感じていることを書いてみたい。
何となくおぼろではあるが、でも浮上しかかっているようなこと、を言葉にしてみたい。
あまり確かではないことも書くかもしれないし、少し踏み込んだことを言語化するかもしれない。
折角、再スタートを始めたので、失敗を恐れず、試行錯誤の自己流で試してみようと思う。
それに少し雑になるかもしれないけれど、あまり吟味せずに掲載するつもり。
こだわりを少しやわらげるために、時間もかけすぎないようにしたい。
ブログのデザインは、写真を色々探してみて疲れた頃、ふと見つかったもの。自分でカットして作った。
今の自分のイメージには結構合っている、と気に入っている。
(もっと変えたいところはありますが、今の私の技術ではこれが精一杯^^。)
2008年06月13日
【待つ】
この前の≪そんなことを思うなんて≫の記事の中で
夫が『もうちょっと待ってほしい。』と言ったことを書いた。
普通、一般的には、夫のようなギャンブラーが自分から『もうちょっと待って。』と言う時には、『あともう少しで止めるから・・・、お願い、もう少しだけやらせて。』というような意味で使うことが多い。
そう言いながら、自力でその状態から抜け出ることは至極稀で、ずるずるとそのまま10年、20年と続いてしまう、というのが依存的ギャンブラーの実態。
だからこういう状態こそが、≪止めようと思っても止められない≫≪本人の意図を超えた≫依存の状態であり、そのことがすなわち依存症の依存症たる所以といわれる。
そういう点では、先の夫の言葉もまさにそのものピタリ、依存者ならではの言葉だ、と取るのが普通だ。
こういう一般化された特徴を知りつつも、私や娘は、その背景に【何か】の予感があるから、きっとそんなこと言ったんだろう、と受け取った。
これはある意味、夫という人に直に接しながら、この状態に付き合ってきた私たち家族だけにしか通じないような感覚、とも言える。
夫を見ていてそう思うのだ、としか言えない感覚であり、私たちならではの直感だと言える。
(巻き込まれている家族だから、そのようにしか見えないのだ、家族も依存状態なのだ、という見解があるのも知っているが。)
それで、この夫が願う【待つ】ということについて、あれからまた少し考えてみた。
まず、夫は【何を】待ってほしい、と思っているのか、ということ。
これは私の長年の勘からすると、夫は『【何かがわかる時】がそのうちきっと来る、だからそれまでもう少し待って欲しい。』と言っているように思う。
上記に書いたようなギャンブルが≪止められるとか、止められない≫ということではない。
『止めるのか止めないのかは、今はまだわからない。が、こうして続けていると【何かがわかる】時が必ずくる、という予感がある。だから、その時がくるまで待ってほしい。』ということだと思った。
【何かがわかる】ということは【何かが腑に落ちる】という感覚でもあるだろう。
そう言えば、長年暮らし続けてきて、まあ夫に翻弄され続けたことも多かったのだけれど、ああこの人はそういう人なんだな、とわかったこともいくつかある。
その一つに夫は≪人生の土壇場では、自分の直感によってどう生きるかを決めてきた人だ≫ということがある。
それは私にも似たようなところがあり、共に暮らそうと決めた時も、またもうこれで縁が切れると思いながらついに切れなかった時も、土壇場で【何かがわかり】、それでそうなった、という経験がある。
これらは夫と私の二人で経験したことだったが、夫が単独で行ったことにもそのような経過がきっとあっただろう、と推測する。
≪腑に落ちる、何かがはっきりそれと感じられる、そしてそれはその時が来れば、それだとはっきりわかる。≫というようなことをどこかで自分の生き方の根底に据えている、それが長年付き合って見えてきた、夫の生き方の側面である。
もちろん、夫の場合、世間からみれば、職は何十回も変わるは、ギャンブルはするは、ある時は浮気までしているは、でダメダメの数々がある。
しかし、人生かっこよく生きながら土壇場に追い込まれる、ということはめったにないわけで、これでもかとダメダメで生きているからこそ土壇場にも遭遇できる。
そういう意味では夫の人生は、世間的な価値を投げ捨てつつ、自分がどこまでやれるか試しているかのような人生、とも言える。
そうでもしないと、確かめられない、のかもしれない。
勿論、はなからそんな危険なことを意識してやろうとしたのではないことは確かだ。
誰が好んでこのような人生を歩もうとするだろう、自分だってそんなつもりじゃなかったよ、と日常の夫は語るに違いない。
でもきっと、彼は感じていると思う。
どこかで、自分がそれを望み、選んできたということを。
日常ではない、深く暗い意識の奥底で、夫はきっとそう感じているにちがいないと、私は感じる。
従って私は、『待っていれば、夫はいつかギャンブルから足を洗う時がくるのだろう。それまで待とう・・・。』なあんていうことだけは考えていない。(以前はそうではなかったが。)
夫に【何が】わかるのか腑に落ちるのか、私にそれはわからない。
夫の人生だから、ということでもあるが、その夫ですらまだわからないのだから私にわかるわけがない。
だけども【そういう時がいつか来ると予感できる】ということ、そのことはわかる。
そして【その時は来たらわかる】という感覚は、人間生きていく上でとても大切な感覚だと思う。
その一点においては、私は他の誰よりも夫を信頼しているかもしれない。
夫が『もうちょっと待ってほしい。』と言ったことを書いた。
普通、一般的には、夫のようなギャンブラーが自分から『もうちょっと待って。』と言う時には、『あともう少しで止めるから・・・、お願い、もう少しだけやらせて。』というような意味で使うことが多い。
そう言いながら、自力でその状態から抜け出ることは至極稀で、ずるずるとそのまま10年、20年と続いてしまう、というのが依存的ギャンブラーの実態。
だからこういう状態こそが、≪止めようと思っても止められない≫≪本人の意図を超えた≫依存の状態であり、そのことがすなわち依存症の依存症たる所以といわれる。
そういう点では、先の夫の言葉もまさにそのものピタリ、依存者ならではの言葉だ、と取るのが普通だ。
こういう一般化された特徴を知りつつも、私や娘は、その背景に【何か】の予感があるから、きっとそんなこと言ったんだろう、と受け取った。
これはある意味、夫という人に直に接しながら、この状態に付き合ってきた私たち家族だけにしか通じないような感覚、とも言える。
夫を見ていてそう思うのだ、としか言えない感覚であり、私たちならではの直感だと言える。
(巻き込まれている家族だから、そのようにしか見えないのだ、家族も依存状態なのだ、という見解があるのも知っているが。)
それで、この夫が願う【待つ】ということについて、あれからまた少し考えてみた。
まず、夫は【何を】待ってほしい、と思っているのか、ということ。
これは私の長年の勘からすると、夫は『【何かがわかる時】がそのうちきっと来る、だからそれまでもう少し待って欲しい。』と言っているように思う。
上記に書いたようなギャンブルが≪止められるとか、止められない≫ということではない。
『止めるのか止めないのかは、今はまだわからない。が、こうして続けていると【何かがわかる】時が必ずくる、という予感がある。だから、その時がくるまで待ってほしい。』ということだと思った。
【何かがわかる】ということは【何かが腑に落ちる】という感覚でもあるだろう。
そう言えば、長年暮らし続けてきて、まあ夫に翻弄され続けたことも多かったのだけれど、ああこの人はそういう人なんだな、とわかったこともいくつかある。
その一つに夫は≪人生の土壇場では、自分の直感によってどう生きるかを決めてきた人だ≫ということがある。
それは私にも似たようなところがあり、共に暮らそうと決めた時も、またもうこれで縁が切れると思いながらついに切れなかった時も、土壇場で【何かがわかり】、それでそうなった、という経験がある。
これらは夫と私の二人で経験したことだったが、夫が単独で行ったことにもそのような経過がきっとあっただろう、と推測する。
≪腑に落ちる、何かがはっきりそれと感じられる、そしてそれはその時が来れば、それだとはっきりわかる。≫というようなことをどこかで自分の生き方の根底に据えている、それが長年付き合って見えてきた、夫の生き方の側面である。
もちろん、夫の場合、世間からみれば、職は何十回も変わるは、ギャンブルはするは、ある時は浮気までしているは、でダメダメの数々がある。
しかし、人生かっこよく生きながら土壇場に追い込まれる、ということはめったにないわけで、これでもかとダメダメで生きているからこそ土壇場にも遭遇できる。
そういう意味では夫の人生は、世間的な価値を投げ捨てつつ、自分がどこまでやれるか試しているかのような人生、とも言える。
そうでもしないと、確かめられない、のかもしれない。
勿論、はなからそんな危険なことを意識してやろうとしたのではないことは確かだ。
誰が好んでこのような人生を歩もうとするだろう、自分だってそんなつもりじゃなかったよ、と日常の夫は語るに違いない。
でもきっと、彼は感じていると思う。
どこかで、自分がそれを望み、選んできたということを。
日常ではない、深く暗い意識の奥底で、夫はきっとそう感じているにちがいないと、私は感じる。
従って私は、『待っていれば、夫はいつかギャンブルから足を洗う時がくるのだろう。それまで待とう・・・。』なあんていうことだけは考えていない。(以前はそうではなかったが。)
夫に【何が】わかるのか腑に落ちるのか、私にそれはわからない。
夫の人生だから、ということでもあるが、その夫ですらまだわからないのだから私にわかるわけがない。
だけども【そういう時がいつか来ると予感できる】ということ、そのことはわかる。
そして【その時は来たらわかる】という感覚は、人間生きていく上でとても大切な感覚だと思う。
その一点においては、私は他の誰よりも夫を信頼しているかもしれない。
2008年06月06日
夫のこと
この前から、夫ネタを書いている。
私にとって、親きょうだいのことや、子どものことなども、それなりに色々あったので書きたいことではあるのだが、そういう中でも、夫ネタはまた格別の感がある。
それは、まだまだリアルタイムで波乱の生じていることであり、これから先もどうなるかわからず、日々葛藤や不安が大きいからだと思う。
しかし、この葛藤や不安が大きいということは、『たった今を、自分はどう生きるか?』ということを考えるには、幸か不幸か絶好のモチベーションになる。
不安が沸き起こり、葛藤が生じるから、『自分は何を恐れ、何と何の価値の間を揺れ動いているのか?』ということを、否が応でも考えざるを得なくなる。
かつて私は、夫のこの問題(ギャンブル熱中)がなくなれば、どんなに自分は救われるだろう、どんなに楽になるだろう、と思い続けたことがあった。
しかしいつのまにかそのような思いは、私の中からはきれいさっぱり失せてしまっている。
この変化には自分でも驚くことがある。
むしろ、今ではこの問題があるからこそ、私という人間は何かから目をそむけたりぼんやりしたりすることなく、はっきりとした意識を保っていることができるのではないかとさえ思う。
そしてその何かとは、私にとっては人生において最も大切だと感じられるような何か、である。
このことによって、私はその大切な何か、私の人生の核心ともいうべき何かを、追及し続けることができるように思われる。
そうでないと私という人間は、安穏とした人生に安住しただろう。
ひきこもりへの関心を始め、シュタイナー思想やトランスパーソナル心理学への接近の原点は、何を隠そう、すべて“夫をどう理解し、この夫とどう生きるか?”その課題に少しでも解を得たいがためである。
理不尽で不可解に思われるこの“課題”をどうにかして解きたいというのが私の願いになった。
夫のことがそう簡単に治まらずに、今も問題として存在し続けるから、私の“人生という謎”への関心や探求のエネルギーは少しも薄れることがないのだと思う。
そして、詰まるところ、それがなかったら、私は今ほど『生きている!』という実感を得ることはなかったかもしれない。
厳しくも苦しい日々ではあるが、だからこそ、時折何かに気付いてはっとすることができるのだと思う。
この感覚が【何に】繋がる感覚なのかを、私は知りたいと思っている。
私にとって、親きょうだいのことや、子どものことなども、それなりに色々あったので書きたいことではあるのだが、そういう中でも、夫ネタはまた格別の感がある。
それは、まだまだリアルタイムで波乱の生じていることであり、これから先もどうなるかわからず、日々葛藤や不安が大きいからだと思う。
しかし、この葛藤や不安が大きいということは、『たった今を、自分はどう生きるか?』ということを考えるには、幸か不幸か絶好のモチベーションになる。
不安が沸き起こり、葛藤が生じるから、『自分は何を恐れ、何と何の価値の間を揺れ動いているのか?』ということを、否が応でも考えざるを得なくなる。
かつて私は、夫のこの問題(ギャンブル熱中)がなくなれば、どんなに自分は救われるだろう、どんなに楽になるだろう、と思い続けたことがあった。
しかしいつのまにかそのような思いは、私の中からはきれいさっぱり失せてしまっている。
この変化には自分でも驚くことがある。
むしろ、今ではこの問題があるからこそ、私という人間は何かから目をそむけたりぼんやりしたりすることなく、はっきりとした意識を保っていることができるのではないかとさえ思う。
そしてその何かとは、私にとっては人生において最も大切だと感じられるような何か、である。
このことによって、私はその大切な何か、私の人生の核心ともいうべき何かを、追及し続けることができるように思われる。
そうでないと私という人間は、安穏とした人生に安住しただろう。
ひきこもりへの関心を始め、シュタイナー思想やトランスパーソナル心理学への接近の原点は、何を隠そう、すべて“夫をどう理解し、この夫とどう生きるか?”その課題に少しでも解を得たいがためである。
理不尽で不可解に思われるこの“課題”をどうにかして解きたいというのが私の願いになった。
夫のことがそう簡単に治まらずに、今も問題として存在し続けるから、私の“人生という謎”への関心や探求のエネルギーは少しも薄れることがないのだと思う。
そして、詰まるところ、それがなかったら、私は今ほど『生きている!』という実感を得ることはなかったかもしれない。
厳しくも苦しい日々ではあるが、だからこそ、時折何かに気付いてはっとすることができるのだと思う。
この感覚が【何に】繋がる感覚なのかを、私は知りたいと思っている。
2008年06月02日
そんなこと思うなんて・・・。
ギャンブルに熱中する我が夫のことについてはこれまでにも色々書いてきたが、そのことが私の二人の子どもに、或いは私の親族に、どのように受け止められているのかということになると、そこには様々な色合いの違いが生まれている。
概ね、私の親族にはほとんど理解されてはいない。(ある意味当然かもしれない。)
3年ほど前、親としばらく音信不通になったことがあったが、それは夫のことがきっかけでもあった。
外に女性を作って30年間家庭を泥沼にした父親は、今はそのことはすっかり忘れてしまったようで、我がことは棚に上げて、娘婿の不祥事は世間並みに平気で説教できたりした。
またこのことの理不尽さを話しても、残念なことにきょうだいにさえ理解されないということもあった。
理解できぬ人に理解せよと言っても、それこそが理不尽な要求になってしまう。
現時点では何も生み出しはしないということもわかったので、これ以上を求めることは、悲しいことではあるがあきらめることにした。
彼らにすれば、今まで散々お金を湯水のごとく使い、あげくの果てに家まで売ったというのに(彼らにも迷惑をかけたこともあった。)、まだギャンブルを止められない夫は、『何ていうことを・・・。とんでもない奴だ!』ということになる。
そして私の二人の子どもが、父親のギャンブルについて、これもある意味当然のことではあったのだが、かなり異なる受け止め方をしているということも最近わかった。
息子はやはり相当複雑な思いを持っている。
先日久しぶりに息子が家に戻った時に、夫が相変わらずギャンブルに夢中であることが話題になると、ぐっと顔をしかめて、『家まで売ったのに、親父はまだそんなことをしているのか!』と吐き捨てるように言った。
息子は、自分のことをアダルトチルドレンだと思うと語り出し、子ども時代のことも含めて、自分のつらかった気持ちを少し話して自分のアパートに帰っていった。
息子の思いはもっともだと思う。
彼の中には父親への愛情と憤り、思慕と落胆、そういった感情がまだまだ渦巻いている。
彼も中学の時不登校であった。
それは学校生活が彼に合わなかったこともあるが、家庭の混乱の影響でもあったと今回彼は語った。
息子は小さい時から自分の気持ちをよく口にする方で、私なりに気持ちを汲んできたつもりだったが、まだまだしまいこんでいるものがたくさんあるんだな、ということを改めて感じた。
息子にしてみると、『家まで売ったのにまだギャンブルをやり続けている父親は、とんでもない。』ということになる。
自分の家庭崩壊を棚上げにして他人を説教する親を私は許せないけれど、息子がそう思うのはもっともだと思う。
そんな風に言う息子を私は何も言わずに見送った。
息子が帰った翌朝、『この人はどう考えているのだろう?』とふと思い、同居の娘にそのことを話した。
そしたら、娘は、『そんなこと思うなんて・・・、とんでもない!』と語った。
『家を売ったからって、それでギャンブル止められる、って考える方がどうかしているよ。』
『そんなことで止められるくらいなら、その前に止めているよ。』
『・・・。』
それで、私は夫が先日『もうちょっと待ってくれ。』と言ったことも話してみた。
『何かがわかるから・・・。』というようなことも言ったと話してみた。
すると娘は、『きっと【何か】の予感がある、ということだろうね。予感がなければそんなこと言えないよね。』
と返してきた。
『まあ、鋭い!どこのカウンセラーよりも的確だわ!』
と、我が娘ながらその卓越した見解に私は思わないではいられなかった。
何というか、同じ出来事を体験していても、感じ方、受け止め方はこんなにも異なるものか、と思わずにはいられない。
家を売ってもギャンブルを続ける人に
『そんなことし続けるなんて、とんでもない!』と思う人。
(まあ、これが普通の人の思いというものでしょう。)
そしてそのように思うことに対して
『そんなこと思うなんて、とんでもない!』と思う人。
(こちらは、かなり稀有でしょう。でもこちらの方が多分真実でしょう。)
狭い家族の中でも、こんなにも受け止め方・感じ方には開きがあることに驚いてしまう。
そして私はといえば、息子の思いもよくわかるし(何故ならこれは私のかつての思いだったから)、娘の発想も少しはわかるようになってきた。
人はそれぞれいつのまにか自分の価値観をつくりあげ、他人の行為や事物をその価値観によって、暗黙のうちに判断しながら生きている。
そしてそれぞれが互いに、『そんなこと思うなんて・・・。とんでもない!』と思いながら生きているということになる、のかな。
概ね、私の親族にはほとんど理解されてはいない。(ある意味当然かもしれない。)
3年ほど前、親としばらく音信不通になったことがあったが、それは夫のことがきっかけでもあった。
外に女性を作って30年間家庭を泥沼にした父親は、今はそのことはすっかり忘れてしまったようで、我がことは棚に上げて、娘婿の不祥事は世間並みに平気で説教できたりした。
またこのことの理不尽さを話しても、残念なことにきょうだいにさえ理解されないということもあった。
理解できぬ人に理解せよと言っても、それこそが理不尽な要求になってしまう。
現時点では何も生み出しはしないということもわかったので、これ以上を求めることは、悲しいことではあるがあきらめることにした。
彼らにすれば、今まで散々お金を湯水のごとく使い、あげくの果てに家まで売ったというのに(彼らにも迷惑をかけたこともあった。)、まだギャンブルを止められない夫は、『何ていうことを・・・。とんでもない奴だ!』ということになる。
そして私の二人の子どもが、父親のギャンブルについて、これもある意味当然のことではあったのだが、かなり異なる受け止め方をしているということも最近わかった。
息子はやはり相当複雑な思いを持っている。
先日久しぶりに息子が家に戻った時に、夫が相変わらずギャンブルに夢中であることが話題になると、ぐっと顔をしかめて、『家まで売ったのに、親父はまだそんなことをしているのか!』と吐き捨てるように言った。
息子は、自分のことをアダルトチルドレンだと思うと語り出し、子ども時代のことも含めて、自分のつらかった気持ちを少し話して自分のアパートに帰っていった。
息子の思いはもっともだと思う。
彼の中には父親への愛情と憤り、思慕と落胆、そういった感情がまだまだ渦巻いている。
彼も中学の時不登校であった。
それは学校生活が彼に合わなかったこともあるが、家庭の混乱の影響でもあったと今回彼は語った。
息子は小さい時から自分の気持ちをよく口にする方で、私なりに気持ちを汲んできたつもりだったが、まだまだしまいこんでいるものがたくさんあるんだな、ということを改めて感じた。
息子にしてみると、『家まで売ったのにまだギャンブルをやり続けている父親は、とんでもない。』ということになる。
自分の家庭崩壊を棚上げにして他人を説教する親を私は許せないけれど、息子がそう思うのはもっともだと思う。
そんな風に言う息子を私は何も言わずに見送った。
息子が帰った翌朝、『この人はどう考えているのだろう?』とふと思い、同居の娘にそのことを話した。
そしたら、娘は、『そんなこと思うなんて・・・、とんでもない!』と語った。
『家を売ったからって、それでギャンブル止められる、って考える方がどうかしているよ。』
『そんなことで止められるくらいなら、その前に止めているよ。』
『・・・。』
それで、私は夫が先日『もうちょっと待ってくれ。』と言ったことも話してみた。
『何かがわかるから・・・。』というようなことも言ったと話してみた。
すると娘は、『きっと【何か】の予感がある、ということだろうね。予感がなければそんなこと言えないよね。』
と返してきた。
『まあ、鋭い!どこのカウンセラーよりも的確だわ!』
と、我が娘ながらその卓越した見解に私は思わないではいられなかった。
何というか、同じ出来事を体験していても、感じ方、受け止め方はこんなにも異なるものか、と思わずにはいられない。
家を売ってもギャンブルを続ける人に
『そんなことし続けるなんて、とんでもない!』と思う人。
(まあ、これが普通の人の思いというものでしょう。)
そしてそのように思うことに対して
『そんなこと思うなんて、とんでもない!』と思う人。
(こちらは、かなり稀有でしょう。でもこちらの方が多分真実でしょう。)
狭い家族の中でも、こんなにも受け止め方・感じ方には開きがあることに驚いてしまう。
そして私はといえば、息子の思いもよくわかるし(何故ならこれは私のかつての思いだったから)、娘の発想も少しはわかるようになってきた。
人はそれぞれいつのまにか自分の価値観をつくりあげ、他人の行為や事物をその価値観によって、暗黙のうちに判断しながら生きている。
そしてそれぞれが互いに、『そんなこと思うなんて・・・。とんでもない!』と思いながら生きているということになる、のかな。
2008年05月22日
午前4時の葛藤
ここ2〜3ヶ月ばかりの間、夫のギャンブル熱が熱中から狂いの域に達し始めた、と書いた。
そしてそれは私が見てというよりは(確かに入れあげている時間はものすごいので、私にもわかるところではあるが)、何より本人からの自己申告でわかるところである。
結果として、毎月家計に入れているものがぐっと少なくなったり、ローン会社からの書類が多く届き始めたりしている。
夫などは、もうとっくの昔にいわゆる大手の金融会社からはお金を借りることはできなくなっているが、それでもこの時代、あの手この手と貸したい者と、借りたい者は出会うしくみになっており、結果、高利の闇金は健在である。
また、特に最近は仕事の後、そのまま○荘に入って、自分の使える時間の全てをそこに使っていることが多い。
結果として、半分居眠りしながらのギャンブルになるらしく、当然最後は持っているお金(それは支払い予定のものであったりする。)全部を使い果たしてのことになったりする。
我が家に辿り着く頃には、眼は開いているか閉じているかわからないぐらいの人相になり、歩き方もおぼつかなく、まさによれよれのボロ雑巾状態である。
昨日、今日と2日間の連休も、まさにそのパターンになりかかろうとしている。
こういう時、家で時間を過ごす私の心の中は、先日の大嵐、とまではいかないが、小さな嵐程度にはなる。
但し、この状態がもうかれこれ20数年ではあるので、さすがにその過ごし方も、以前とは随分違ったものになったのは確かである。
これについて書き出すと簡単には収まらないので割愛するが、まさに大荒れの暴風状態から、ようやく小さな嵐程度には、変化を遂げた、とは言える。
夫が、私の見えないところで、ギャンブルという私にはほとんど経験のないことを通して、時間とエネルギーとお金を注ぎ込んでいるということ。
それは私たちの日々の生活を支える最低限のものも、失うか、立ち行かなくさせる恐れを含んでいるということ。(現に家も一軒失った。)
さらには、夫がそれで楽しければいいが、そうとも言い切れない状態になってしまいがちだということ。
そういうことを考えると、何も言わないで夫自身が決めるのを【待つ】ことは(例えば、ギャンブルを今日何時に終えるということから、生涯の中で自分の人生をどうするかまで含めてすべてに関して)、この20数年に及ぶあいだ、たぶん何千回にも及ぶ経験を重ねながらも、今もなお私をさまざまな葛藤の嵐の中にほおり投げる。
人間、多少は進化するもんで、初期に私が経験した心の嵐は、今再び同じように私を席捲したりはしない。
たとえ、少しの間、マイナス的な思考(特に恐れや怯え)が私を襲おうとも、とりあえずそこからの脱出は可能になった。
以前は、心配になり始めると寝付くこともできずに、夫にとにかく連絡を取ろうとしたり(大概そういう時は連絡が付かないように手段が講じられていたが)、取れた暁には、泣く・喚く・悲しむ・怒るなどの表現しか取れなかった。
それが、とりあえずは、眠れるようにはなった。(これはかなり大きなこと。)
但し、3時間ぐらいで目が覚めてしまう。
昨夜も1時頃に就寝したので、4時ごろ、不安のうちに目が覚めてしまった。
先程も言ったように、起きている時はどうにかこうにかしのげるようになっても、眠りの中までのコントロールはいささか難しい。
抑え難い不安は、眠りの中でいつしか目を覚まし、本当に目覚めた時には、抑え込めなかった不安が自分に迫ってくる。
そこから、まだはっきり覚醒はしないままの意識の中で、何とも言いがたい葛藤が始まる。
かくして少し東の空は白み始めたとはいえ、朝にはまだ間のある午前4時の葛藤となる。
具体的には、身体もあちこち痛みが走り不安であることも抑え難いので、この事実を夫に携帯を使って訴えて、とにかく今夜は帰ってくるように伝えてみようか、どうしようか、というような葛藤である。
少なくとも、今の時点でそれを伝え夫が帰宅すれば、この前のようなスッテンテンでボロ雑巾のようになって帰宅する姿を見ることからは救われるかもしれない。
しかし・・・、と朦朧とした意識の中で、私はさらにその先に考えを進める。
それをして、どうなるだろうか・・・?
まず、今までそのようなことをして帰ってきたことは、・・・なかった、気がする。
それから、例え帰ってきたとしても、まだまだやりたい気持ちを残したままであり、むしろこういう中断は一層その思いを増幅させるにちがいない、ことも想像する。
夫はこの前、今の状態に対して、【もう少し待ってくれ・・・】と呻くように言っていた。
ここで、初期の私なら、その言葉がいかに信用できないかをあげつらったはずである。
また冷静な第三者なら、20数年の過去を見て、その言葉がいかに実現されないかを、私にきっと善意を持って説得しはじめるだろう。
しかし、私は、例え百人が百人、いや千人が千人そう言おうとも、【その待って欲しい】の中に、【何か】を予感する。
それに、たとえその【何か】が起こらなくても、夫の人生は夫のもの、である。
逡巡がこの辺りまで来ると、心の嵐はようやく収束し始める。
そして、暗闇で、携帯を握り締めながら、ああでもないこうでもないと枕に頭をうずめながら格闘していた自分の姿に、ふと気がついて少しおかしくなる。
そしてそのまま、どこか小さくはあったが手ごわい戦いにどうにか終わりを迎えることができた私は、言いようのない疲れの中で、いつの間にか再び浅い眠りに入っていった。
再び気がついたら、8時を廻っていた。
5月の風は青々とした緑の風に変わっていた。
そしてそれは私が見てというよりは(確かに入れあげている時間はものすごいので、私にもわかるところではあるが)、何より本人からの自己申告でわかるところである。
結果として、毎月家計に入れているものがぐっと少なくなったり、ローン会社からの書類が多く届き始めたりしている。
夫などは、もうとっくの昔にいわゆる大手の金融会社からはお金を借りることはできなくなっているが、それでもこの時代、あの手この手と貸したい者と、借りたい者は出会うしくみになっており、結果、高利の闇金は健在である。
また、特に最近は仕事の後、そのまま○荘に入って、自分の使える時間の全てをそこに使っていることが多い。
結果として、半分居眠りしながらのギャンブルになるらしく、当然最後は持っているお金(それは支払い予定のものであったりする。)全部を使い果たしてのことになったりする。
我が家に辿り着く頃には、眼は開いているか閉じているかわからないぐらいの人相になり、歩き方もおぼつかなく、まさによれよれのボロ雑巾状態である。
昨日、今日と2日間の連休も、まさにそのパターンになりかかろうとしている。
こういう時、家で時間を過ごす私の心の中は、先日の大嵐、とまではいかないが、小さな嵐程度にはなる。
但し、この状態がもうかれこれ20数年ではあるので、さすがにその過ごし方も、以前とは随分違ったものになったのは確かである。
これについて書き出すと簡単には収まらないので割愛するが、まさに大荒れの暴風状態から、ようやく小さな嵐程度には、変化を遂げた、とは言える。
夫が、私の見えないところで、ギャンブルという私にはほとんど経験のないことを通して、時間とエネルギーとお金を注ぎ込んでいるということ。
それは私たちの日々の生活を支える最低限のものも、失うか、立ち行かなくさせる恐れを含んでいるということ。(現に家も一軒失った。)
さらには、夫がそれで楽しければいいが、そうとも言い切れない状態になってしまいがちだということ。
そういうことを考えると、何も言わないで夫自身が決めるのを【待つ】ことは(例えば、ギャンブルを今日何時に終えるということから、生涯の中で自分の人生をどうするかまで含めてすべてに関して)、この20数年に及ぶあいだ、たぶん何千回にも及ぶ経験を重ねながらも、今もなお私をさまざまな葛藤の嵐の中にほおり投げる。
人間、多少は進化するもんで、初期に私が経験した心の嵐は、今再び同じように私を席捲したりはしない。
たとえ、少しの間、マイナス的な思考(特に恐れや怯え)が私を襲おうとも、とりあえずそこからの脱出は可能になった。
以前は、心配になり始めると寝付くこともできずに、夫にとにかく連絡を取ろうとしたり(大概そういう時は連絡が付かないように手段が講じられていたが)、取れた暁には、泣く・喚く・悲しむ・怒るなどの表現しか取れなかった。
それが、とりあえずは、眠れるようにはなった。(これはかなり大きなこと。)
但し、3時間ぐらいで目が覚めてしまう。
昨夜も1時頃に就寝したので、4時ごろ、不安のうちに目が覚めてしまった。
先程も言ったように、起きている時はどうにかこうにかしのげるようになっても、眠りの中までのコントロールはいささか難しい。
抑え難い不安は、眠りの中でいつしか目を覚まし、本当に目覚めた時には、抑え込めなかった不安が自分に迫ってくる。
そこから、まだはっきり覚醒はしないままの意識の中で、何とも言いがたい葛藤が始まる。
かくして少し東の空は白み始めたとはいえ、朝にはまだ間のある午前4時の葛藤となる。
具体的には、身体もあちこち痛みが走り不安であることも抑え難いので、この事実を夫に携帯を使って訴えて、とにかく今夜は帰ってくるように伝えてみようか、どうしようか、というような葛藤である。
少なくとも、今の時点でそれを伝え夫が帰宅すれば、この前のようなスッテンテンでボロ雑巾のようになって帰宅する姿を見ることからは救われるかもしれない。
しかし・・・、と朦朧とした意識の中で、私はさらにその先に考えを進める。
それをして、どうなるだろうか・・・?
まず、今までそのようなことをして帰ってきたことは、・・・なかった、気がする。
それから、例え帰ってきたとしても、まだまだやりたい気持ちを残したままであり、むしろこういう中断は一層その思いを増幅させるにちがいない、ことも想像する。
夫はこの前、今の状態に対して、【もう少し待ってくれ・・・】と呻くように言っていた。
ここで、初期の私なら、その言葉がいかに信用できないかをあげつらったはずである。
また冷静な第三者なら、20数年の過去を見て、その言葉がいかに実現されないかを、私にきっと善意を持って説得しはじめるだろう。
しかし、私は、例え百人が百人、いや千人が千人そう言おうとも、【その待って欲しい】の中に、【何か】を予感する。
それに、たとえその【何か】が起こらなくても、夫の人生は夫のもの、である。
逡巡がこの辺りまで来ると、心の嵐はようやく収束し始める。
そして、暗闇で、携帯を握り締めながら、ああでもないこうでもないと枕に頭をうずめながら格闘していた自分の姿に、ふと気がついて少しおかしくなる。
そしてそのまま、どこか小さくはあったが手ごわい戦いにどうにか終わりを迎えることができた私は、言いようのない疲れの中で、いつの間にか再び浅い眠りに入っていった。
再び気がついたら、8時を廻っていた。
5月の風は青々とした緑の風に変わっていた。


